これから無くなってゆくもの

時代が移り変わって、新しい技術で生まれる物があれば、無くなってゆく物もあります。
僕の人生の中でも、科学技術は進歩して生活が変化していることを実感します。
僕が中学生くらいまでは、インターネットは一般的ではなかったし、
携帯電話も高校生くらいから持ち始めました。
今では生活の中になくてはならないものになっています。

とくにネット環境の変化は凄まじくて、情報だけでなく物流の仕組みすら変化しているように思います。
これからの時代自分の職業がいつまで存続するのか考えた上で、仕事をしてゆく必要があるように思えます。
Amazonのサービスを利用していると、直近でどんな変化が起こるのか想像できるような気がします。
これから無くなる物は。

本屋 (専門書に特化した本屋でないと厳しくなるでしょう。本は電子書籍とオーディオブック変わってゆきます)
一般的な古本屋 (紙の本が少なくなることで古本屋も減ってゆくでしょう。専門書を扱う店は残ると思うし、残ってほしい。)
テレビ (受動的な情報はもういらない。)
新聞 (紙媒体の情報源よりスピードの速いネットの情報が強くなってゆくでしょう。)
フィルムカメラ (あんなに大好きだったフィルムカメラももうつかいませんスマートフォンとデジカメが便利すぎる。。)
レンタルビデオ (エンターテイメントはデータで送られてきます。わざわざ借りて返すことは無くなります)
印刷業 (今でも価格競争が厳しいと思いますが、これからはさらに厳しくなるのではないでしょうか)
固定電話 (ほぼ全ての人が携帯電話を持っていますので固定電話はなくなるでしょうね。FAXもメールに変わってゆくと思います)
デスクトップパソコン (情報収集の場所を限定するデスクトップパソコンは不便です)

なぜこういうことを日頃考えているかというと
美術はどう変化してゆくかを考えているからです。
上記に上げた無くなる物は、ほとんど物体です。
つまり、いままで情報を得るために必要だと思っていた物はどんどんデータに変わってゆきます。
情報を得るという目的には実は物が必要ではなかったことがわかりました。

けっきょく僕たちは物ではなく事を欲していたのです。

美術で作れる事は誰かの心の中の感情の揺らぎです。
事は物の先にあるように見えて、実は物より前にあるのかもしれません。