揺らぎを作る

先日機械と手仕事について書きました。
それでも何で手仕事は必要なのか考えてみました。
それで、今のところ出した答えは。

手仕事とは揺らぎを作る事である
という結論です。

揺らぎとは何か
つまり、正確ではないということです。
でも、ただ正確ではないという事ではなく
人間が限界まで正確にものを作ろうとした時に出てくる揺らぎが人の心を動かす要素の1つだということです。

この結論に至るきっかけは、正倉院御物を見てきた経験から見つけました。
正倉院御物は聖武天皇ゆかりの品々が納められており
その時代の日本は仏教を中心に国をまとめようとしていました。
今からでは想像もできませんが、仏教立国のため国家がかなり本気で力を注いでいました。
そこで、それにふさわしい建造方法や、法具が海外から輸入され、そして国内でも制作されました。

その頃制作された品々はものすごい迫力があるんです。
なぜかと言うと、作り手も自分より大きな存在のために作っていたからです。
自分の命より大切なものがあるという事が想像できるでしょうか?

彼らは仏のために、そして日本のために命がけで御物を制作しました。
自分の限界を超えた制作です。
今より工具の精度は低いのですが、かなり正確に作ろうとしているのがわかるのです。
限界を超えた正確な制作の先にあるのは揺らぎです。
人間はいかに鍛錬を積んでも、直線的な動きはできません。
そして、確実に正確な動きもできません。
ただ、きわめて正確に近い動きはできるようになります。
長年の鍛錬により、同じものをいくつも作る事や、同じ形を描く事ができるようになります。
しかし、それは機械的な正確さではなく、あくまで人間の目で捉える事のできる正確さです。

この人間の目で捉えられる正確さというのが、実は人間に心地良いものだと思うのです。
完璧な正確さより、正確に見える事に人間は共感します。
理由はわかりませんが、それが人間がきわめて正確に作ろうとした時に生じる揺らぎの魅力なんです。

1ついえる事は、人間の芸術活動は心の揺らぎに大きく関わっていて、
心の揺らぎはの波長と手から生まれる揺らぎの波長は、共鳴しやすいという実感です。
好き嫌いは別にして、芸術作品を見た時に何らかの心の動きを感じませんか?
「美しい」「かわいい」「こわい」「きたない」
どんな感情が生まれてとしても、感情に揺らぎが発生した事は事実です。
その揺らぎへの挑戦が、人類の芸術活動の歴史であり、それを作るのが作り手の仕事なのかと思います。
そこに手作業は必要ないかもしれませんが、少なくとも僕は手から生み出された揺らぎの波長に心を奪われます。