作業時間が長い=価値 ではない。

漆芸作品は一般的に高価です。
その価格の裏付けとはなんでしょうか。
工程がとても多く、時間と手間、そして材料費が膨大にかかっているのは確かです。
しかし、それが理由で高価ならば、いくら質が良いからと言っても、この先漆業界は滅びますよ。
なんせ高すぎる。
時間がかかっているというのは作り手の理屈で、実際は価格に見合ったものになっていないから売れない。

ひょっとして手間がかかっている事が=価値に結びついていた時代があったのかもしれません。
でも、僕はそんな時代知らないし、それが正しいとも思いません。
だから、もの作りに携わるなら、この作業時間が長い=価値という感覚を捨てないとなりません。

試しに、三分で描かれたピカソのドローイングと三ヶ月かけて作られた僕の作品が、
同じ100万円で市場に並んだら、間違いなくピカソの方が先に売れます。
(ピカソのドローイングは100万円どころではないですけどね笑)
なぜそうなるかと言えば、ピカソの作品の方が価値があるからです。
自分が挑戦している分野の価値が低いというのではなく、相対的にピカソの方が圧倒的に価値が高い。

つまり、価値とは時間軸とは別のところで計られることになります。
もちろん、長い年月受け継がれてきた古美術には価値があるし、
長い時間かけて作られた作品には価値があります。
ただ、それらの時間の要素は副次的な要素のようです。

では、価値とは何かと考える時、僕が出した結論は
「人の感情」です。
美術は人の感情です。多くの作家が失敗してしまうのはこの「人の感情」を「自分の感情」だと勘違いしてしまうからです。
自己表現の完成は絶対条件ですが、その先に人の感情の揺らぎがないと世界にインパクトを与える事ができません。
自分以外の人の感情に価値を与えられるか?と問われているのが美術です。

人の感情は複雑です。価値基準も様々です。
お金に対する欲求、性的な欲求、食欲、社会的な地位様々な価値観が合わさって1人の人間が出来上がっています。

ピカソの作品はあらゆる欲求を満たしてくれます。
価格がが高くて、知名度もすごいので投資の対象になります。
所有している人は必ず成功者なので、一目で社会的地位もわかります。
お金があり、知名度もある所有者は人気者で多くの人が集まるでしょう。

このように所有者の感情を満たしてくれる部分が多いのがピカソの作品です。
何時間で描かれたとかそんな事は関係ありません。
もっといえば、美しさも関係ありません。美意識とは教育によって成り立っているし、
美の多様化が許されてさらに広がり続けるのが美術史だから、全ての人が美しいと賞賛するものに価値があるとも限りません。

それでも、僕なりの価値基準、美意識を元に制作しています。
価値観、美意識がいくら多様だと言っても、ルールもあります。
最初に取り組むべきは作品レベルです。
これは単純に技術力とも言えます。
漆の場合技術が未熟だと全く作品にならないので、ここをクリアしなければなりません。
まずプロのフィールドに立つのが肝心ですからね。

さて、このように価値は時間軸とは関係ないところで生まれると考えると
漆芸の蒔絵という表現方法はかなり困難な表現手段となってしまいます。
それでも、僕はこの表現が宇宙で一番価値があると思っているのでしょうがないんですよ。
近い将来すごい科学技術で、数秒で漆を硬化させる事ができて、飛躍的に作業時間を短縮できるまで、
多分このペースでしか作品を作れません。
だけど、これだけ時間がかかっても最高の表現ができるのが蒔絵なんですよ。
不利とか困難とか言ってられませんよ!歴史的な裏付けのあるすばらしい素材と表現の世界に身を置けているんですから。
洗練された意匠でしっかりと価値を届ける挑戦をしますよ。