ネットとリアル(ポケモンGoリリースに思う事)

ポケモンGoの日本版がリリースされてFacebookのフィードにあふれてきましたね!
1度ダウンロードしてみましたが、外に出てポケモンを探す気になれなかったので、今は削除してます。

事故のことや、異常な熱狂ぶり(半分マーケティング戦略だと思うけど)など、ネガティブな記事がこれから増えてゆくと思いますが、
僕はこのポケモンGoってすごく面白いサービスだと思ってます。

ポケモンは最初にゲームボーイで発売されたソフトだったと思います。
僕が小学生の6年生くらいだったと記憶してます。
かなりの長寿ゲームとなってますね。

内容はゲームの中を旅して、モンスターを見つけて、集めて、戦わせるというもの。
とにかくいろいろなモンスターがいて、進化させたり、好きなオーダーでポケモンを戦わせられるといった、自由度が魅力だったような気がします。


さて、そのポケモンワールドがついにリアルな世界で体験できるなんて!考えた人は頭がいい。
スマートフォン無しではこのような発想は生まれませんから、最初のポケモンが生まれてから僕たちの生活が、いかに変化してきたかがわかります。
あのころはスマートフォンの何倍も大きいゲームボーイというモノクロ画面でプレイしていたのですから。

リリース日にさっそくプレイしている少年とランニング中の土手で出会いました。
子供がスマホ画面ばかり見て歩くのって、ちょっとさびいしいけど、このような変化は必然でしょう。
スマホが登場して以来、みんな花火が目の前にあるのにスマホの画面を通して花火を見て共有してきました。
実は、リアルな世界をずっと前から画面を通してみてきたといえます。

この、現在を記憶して共有する欲求は人類の歴史ともいえるのではないでしょうか。
まさに美術がそうだと思うんです。
これからはネットなどのメディアを使ったアートが進化してゆく事でしょう。

制作者は想いを造形化して発表します。
コレクターは自分の想い作品に託して代々伝えてゆきます。
音楽も文学も同じく。

見るだけ、感じるだけではなく形に残して共有したい欲望をインターネットはかなえてくれます。すごく簡単に。
長所と短所があるけど、ネットの進化は止まりません。元に戻る事は不可能です。

ただ、僕たちが生きているのはリアルな世界なので、その中で生き抜くためには
傷つきながらも現実と戦ってゆかなければなりません。
たくさんの人に会って、想いに共感してくれる人と話しながら夢に向かってゆくこと。

子供たちがポケモンGoを通してたくさんの人と出会えれば良いですね。
まあ、プレイしてるのは大人が多いでしょうけど。