ただ、まっすぐな表現

最近少し変わった仕事をしています。
僕の仕事でたくさんのパーツを貼ってゆく仕事はある意味で定番化しています
今回の作品はそれをさらに愚直にした感じの仕事。
何をしているかというと、
ただ単に貝を貼っています。
棗という茶入れに全面貝を貼る。ただそれだけ。

しかし、その仕事が思いのほか時間がかかるのです。
1センチ四方にほぼ一日かかってしまうことが判明してから
スタッフ君と二人がかりで毎日取り掛かっています。
それでどう見積もっても個展一ヶ月前の図録撮影に間に合いそうにないのです。

「図録撮影は表だけ貝を貼った状態で、その後裏を仕上げて個展に出そう!」
という流れで進めてゆくことになりました。
場合によってはシフト制で夜勤組!!??が発生してしまうのではないかと戦々恐々としています。

この仕事を通していくつか不思議な感覚を覚えます
まずは、無我の境地というか、素材と繋がるような感覚があります。
8時間くらい二人で休憩も取らず、(取ってもいいのですが、キリが良いところまで頑張ると休憩なしのことも)黙々と貼り続けます。
まさに修行のような作業です。
器物と素材と自分が同期されているような感じ。

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その中で一度粉砕された貝がここにしかない場所に貼られる、あるべき場所に戻ってゆくような感じ。
粉砕される前のパーツが隣合わさるなど万に一つもない可能性ですが、
そこに、その貝の破片が貼り付けられるのはすでに決まっていたかのような
不思議な感覚は僕もスタッフ君も共通して感じていることでした。


結果としてどのような表情の作品になるのか
実は全く予想できていません。
最後のひとパーツを貼り終えた時
僕とスタッフ君は今まで体験したことのない気持ちになるのではないかと
想像しています。
それは、狂喜か狂気か慶喜か。