「失敗が許されない社会」を逆手に取る

人間の性質上仕方ないことなのかもしれませんが
僕たちは「失敗」に寛容になれません。
できれば失敗しないで、人生を生きぬきたいし
誰かの失敗を見て「ザマアミロ」とは言わないまでも
少なくとも、芸能人や公人みたいに失敗をワイドショーで騒がれない一般人でよかった。と思う。

テレビやネットは芸能人の不祥事
公務員の不祥事
政府の批判・・・
などたくさんあふれていて
完全に失敗って怖いものになっています。

長く生きていれば、失敗も少なくなってゆくけれど
それはリスクを最小限にしているということでもあります。

幼い子供があれほど果敢に失敗を経験してゆくのは
単に恐れを知らないからと言えます。


この忌み嫌われる「失敗」ですが
「成功」を目指す時に必ずセットで付いてきます。
これはほぼ100パーセントと言っていいほど。。

何かアクションを起こす時
それが成功するより失敗する可能性の方が高い。
日本の新規の法人だと10年後に存続している可能性はおよそ5パーセントらしいので
95パーセントは失敗していることになります。

さて、この数字をどう見るでしょうか。
冷静に考えると「挑戦しない方がいい。。」と思います。
社会全体が失敗をマイナスに捉えているのは確かですから。
この挑戦はヤバい感じ。
例として新規法人をあげましたが、何かをスタートさせて成功する確率も
だいたいはこんな感じなのではないかと思います。

しかし、僕としては
この状況だからこそ、ある意味失敗には価値があると思っています。
だって、多くの人が体験できないことをできるのだから。
それに、成功率が5%でも20回挑戦すれば1度は成功します。

これはとても貴重な個人的経験だったのですが
20回失敗して得た1度の成功は、多くの場合
次の20回にに影響を与えます。

僕の制作で例えると
最初の20作くらいは本当に売れない時代だったから
失敗経験だったと言えます。(意味がないわけではないが、成功か失敗かというと)
そこに最初の成功が訪れます。腑に落ちる作品が完成します。
僕の場合、技法やアイデア、表現方法になりますが
この技法は次につながります。

すると、次の20作は前作の成功要素を引き継いでいるので
失敗というより次の表現へ向かうための重要な作品となります。
つまり作家の作品で言う作風の充実と言うことになります。

その20作にはそれぞれ新しい表現の種を植えているので
次の成功要素がたくさん散りばめられていることになります。
そして、またある段階で新たな成功要素が花開くと思います。


つまり、最初の不遇時代の失敗と
一度成功体験をした場合の失敗?とは全く違うものになります。
失敗が失敗ではなくなります。
何を成功か失敗と考えるかは人によりますが
成功も、ある種の失敗も人生において複利的な役目があります。

ただし、失敗は数をこなさなければならないので
その覚悟と余裕を持つことは肝心でしょう。
どうやら成功も失敗も最初は小さなところから始まることを求めているようです。

この本は面白いです
あらゆる成功者も、百発百中のスーパースターではなく
ランダムな世の中を懸命に生き延びているだけのようです。
この本を読むと失敗に関する考え方が変わるかも。

さて、明日はどんな成功か失敗が待っているのだろうか。